吉村楽入について
About Rakunyu
当家は、明治時代中頃より、焼砥石・ルツボなどの製作を東山松原(現 京都市東山区)
で営んでおりました。当時は京焼・清水焼の登り窯(共同窯)の火前(窯の中で最も高火力・長時間焼成の場所)にて焼き締め陶を焼いておりました。
軍需産業需要の高まりに伴い、自前の新型コークス炉を、現在所在地である京都市南区に新築窯致しました。
現当主の祖父にあたる甚四郎(後の初代楽入)は砥石製造の傍ら、趣味で楽焼を楽しんでおり、戦後平和産業の需要の高揚を受け、楽茶碗造りを副業として行う事となりました。
因みに、楽焼とは、「ひねり成形」による自然にできた不均一な造形と「引き出し焼成」と言う世界的にも稀な焼成方法を行う焼物の一種で、千利休の指導の下、約400数十年前に京都で生まれた焼物です。従来、赤楽という赤褐色と黒楽という天然の加茂川石を使用した釉薬の黒色の二種類があり、茶道では濃茶碗として重宝されております。
さて、その後、二代目楽入(本名 敏男)が当主となり、楽茶碗のみならず、茶道具各種や置物なども手掛ける事となり、昭和五十四年、有限会社楽入を設立、初代社長となり、製造に努めておりました。表千家堀内家の御縁を得て、より一層茶道具製作に励み、晩年は全国各地にて、個展活動をする様になりました。
当代(本名 重生)は、同志社大学卒業後、京都市工業試験場(現 産業技術研究所)の研修を終え、京都府陶工訓練校(現 陶工技術専門校)の成形課を卒業し、二代目楽入に師事しました。
20代前半より、茶道を表千家堀内家で学び、表千家同門会京都支部の役員を永年委嘱されております。又、若年期、裏千家前お家元ご次男 故伊住宗晃宗匠の薫陶を受け、茶美会に所属後、楽茶碗製作体験を始めました。
平成十六年に当代に代替りをした事をきっかけに大正年間に建仁寺黙雷老師より拝領した家名「萬福堂」を名乗り、三代目楽入つまり「萬福堂楽入」が誕生致しまして、今日に続いております。
自作ブランド「萬福堂楽入」の伝統的な赤楽・黒楽を中心に個展活動を精力的に展開しながら、二代目の時代より創始した、「楽入窯」ブランドを主宰し、楽焼では珍しい「絵付茶碗」の制作に励み、独特の楽焼の展開に挑戦しております。
近年の茶道の変遷に伴い、楽焼以外の焼成法も取り入れた茶道具を製作し、楽焼技法を駆使した食器などの開発を進め、楽焼による室内装飾用タイルが某高級ホテルに採用されるなど、京焼・清水焼の窯元として、多彩な焼物を展開しております。
平成十三年 楽焼技術としては初の伝統工芸士に認定され、平成二十三年には京都市より、「未来の名匠」に認定されており、沖縄県立芸術大学の非常勤講師や、自らの卒業した陶芸関連教育施設で後輩の育成に助力しております。
現在、(独)京都市産業研究所陶磁器研究会委員長・(財)京都陶磁器協会理事長の任を受け、京都工芸作家協会会員であります。